今朝、@BlockBeatsAsia の予測市場に関するこの記事を読んで、背筋が凍る思いがした。
以前から予測市場が「偉大」だと称賛される理由の一つに、それが極限の能動性を引き出すからだという声を聞いていた。
この記事の分析を例にすると、あるグーグル幹部がプラットフォーム上でその年の話題人物に大きく賭ける。巨額の賭けに勝つため、彼は自分の権限を使って検索パラメータを微調整し、予言を自己実現させる。
予測市場を称賛する人々の間では、これも「技術が現実を変える」もう一つの勝利のようだ。しかしこの喝采の中に、私は極めて危険な気配を感じ取った。
もしこの論理が「偉大」として称賛されるなら、我々は恐ろしい分岐点に立っているのかもしれない。未来を予測する市場が欲しいのか、それとも資本が「未来をカスタマイズ」できる世界が欲しいのか?
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予測だけでなく、権力の現金化
経済学にはソロスの反射性という古典的な用語がある。つまり、参加者のバイアスが市場に影響を与え、市場がまた現実を変えるというものだ。
伝統的な商業倫理では、この反射性が操作へと発展することを警戒する。しかしグーグル幹部の仮定では、この操作が正当化されている。
もはや「誰がより正確に見るか」ではなく、「誰の手腕が強いか」が問われている。
一人の賭け金が現実に介入する動機となるほど大きい場合、Polymarketは富裕層のためのイカサマ
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